科学的ではなかった『科学的素養を他人に問うたテスト』の枠組みと出題者
(12月16日ちょっと修正。TAKESANさんすみませんでした)
疑似科学関係の話を追おうと思って追いきれず、最近はてなIDを取ってはてブをちまちま初めていた所。
そんなこんなで(端折り過ぎ)はてブしてみた江戸時代から明治時代の脚気の原因はカビ毒によるものだったか - finalventの日記にて、finalvent氏が12月14日に追記したらしい部分について書いてみる。氏からのレスポンスは期待していない。
初めての日記でこの内容はどうかとも思うが……ま、いいか。
と、本題に入る前に事の経緯みたいなものを記しておこう。
私がこの話を知ったのは、ROMしているTAKESANさんのblogInterdisciplinaryの以下のエントリ
テストだそうです: Interdisciplinary
ちなみに関連する最新のエントリはこちら
もうちょい続く: Interdisciplinary
他にもいくつかのblogで色んな方が論じていらっしゃいます。トラックバックを辿れば大概辿り着きますので興味の有る方は是非。
何? 手抜きで投げっぱに過ぎる? ……大丈夫さ! 読者なんてきっとほとんど来ないから!
……(´・ω・`)
では本論。
氏の論ははっきりしないor仄めかしな所が多いので意訳しながら行きましょう。
(引用)
まず、この2つの記述ですが、過去の事象を扱っています。ゆえに、実験などによる検証対象というものではなく、どれだけ、後の仮説によって妥当な説明が与えられるかが、科学的であるかの評価になります。
この場合注意しなければいけないことは、後の仮説、たとえば、「ビタミンB1不足が脚気を起こす原因である」を前提とした説明をしてはいけないことです。
(要約)
後の仮説によって妥当な説明が与えられるかが、科学的であるかどうかの評価だ。よって後の仮説を前提とした説明をしてはいけない。
(意訳)
『私が認めない後の仮説』による説明を、私は妥当な説明だとは認めないので、私はその『後の仮説』を前提とした説明を科学的だと認めない。
(感想)
上の意訳は、『重力が存在するからニュートンが見たリンゴは落ちた』という説明が、氏の中で科学的になると仮定した場合の物です。
科学的な考えと言った時に大事なのは『その考え(仮説)がどれだけ事実との繋がりを有するか(説明できるか・矛盾しないか)』です。
下でも述べますが新しい知見で過去の事象を説明する事を『科学的ではない』と私は思いません。
(引用)
ここでの記述、特に前段をこの点で見なおすと、まずその基本的な手順に間違いがあるために、科学的な説明とはなっていません。
(意訳)
私が認める『説明の順番』に合致しないので、私は科学的な説明とは認めません。
(感想)
要約的な説明に精緻な科学を求める事がそもそもの間違いでしょう。
論文のアブストラクトで結論から書かれているからと説明の順番に文句を言う科学者はいないと思います。
氏の定義で言うならば、小学校の理科の教科書は非科学的な説明で溢れている事になりますね。
(引用)
後段については、白米に問題があるだろうという推定しかできません。これは、「ビタミンB1不足が脚気を起こす原因である」という仮説とは、論理的な飛躍があります。
実際に高木の実験は歴史的に見ればたんぱく質不足を想定したもので理論と実験の関連は、ビタミンB1不足とはまったく関係のないエピソードです。それが後代の仮説によって、それを例証するものであるかのように記載されているのは、手順的な誤りです。
歴史的な考察から言えることは、白米に問題があるというだけです。
(要約)
『白米に問題が有る⇒ビタミンB1不足が原因』には論理的飛躍が有る。
高木の実験はたんぱく質不足を想定としたものだから、ビタミンB1不足とは全く関係は無い。
それを『後の仮説』であるビタミンB1不足の例証とするのは『手順的な』誤りだ。
(意訳)
たんぱく質とビタミンB1には全く関係は無いので、実験の結果からビタミンB1不足について考えるのは『科学の手順』として誤りであり、科学的ではない。
(感想)
たんぱく質という『栄養素の不足』を観点とした実験結果を、食材が含む栄養素が比較できる現代の観点から検証してビタミンB1不足の例証とするのは、特に科学的に誤りではないと私は思います。
これが科学的な誤りだとすると、実験や文献等から新しく得た知見でもって過去のデータを検証するという行為は総じて科学的ではないという事になってしまいますので。
本音を言えば『栄養素』や『食物』という共通項で括る事が可能なたんぱく質とビタミンB1を、『まったく関係ない』と言い切る氏に『科学とは何ぞや』を語って欲しくないかなあ。
(引用)
そこから「白米だからビタミンB1不足なのだ」という仮説の妥当性の強度が問われます。
歴史を見ていくと、脚気の原因説には、栄養説、細菌説、中毒説があり、細菌説は棄却された(そのような細菌は発見されない)ものの、栄養説と中毒説は並立しています。
(意訳)
中毒説は否定されてない、だから栄養説と並立しているのだ。
(感想)
それこそ「(比較的)肯定されている」と「否定されていない」の『妥当性の強弱』を考えて下さい。
(引用)
問題に戻って、ここでの記述において、中毒説による仮説の妥当性の強度はどうでしょうか。
コメに問題があるということしか述べられないのであれば、コメに付着したカビ毒による中毒説はここからは棄却されません。
つまり、栄養説と中毒説において、この記述を見直す必要があります。
そして、「歴史的な脚気」が、カビ毒による中毒説として見たほうが妥当であれば、ここでの説明そのものが、科学的な説明としては妥当ではなくなります。
(要約的意訳)
仮説の妥当性の強度を考えると、コメに問題が有るというだけなら(他の要素を無視すれ)ば、カビ毒中毒説は棄却できないので、(栄養説と中毒説は棄却できないという1点のみで並立するから)Wikiの記述を見直す必要が有る。
『(現代において栄養の充実により撲滅された脚気とは異なる物だったかもしれない)歴史的な脚気』が、カビ毒による中毒説として妥当なのだから、Wikiの記述は妥当ではない(ので見直さなければならない)
(感想)
ビタミンB1で改善したという過程(報告例)を無視しておいて妥当性の強度も糞もありませんね。
『歴史的な脚気』の定義からして確定してないのにカビ中毒説が妥当というのも無茶な論理展開です。
(引用)
ここで、仮説の組み合わせは次のようになります。
1 栄養説のみが正しい
2 栄養説と中毒説は脚気という歴史事象について、適応を棲み分けるように妥当性がある
3 中毒説のみが正しい
(感想)
妥当性の強度を議論するなら『AのみかBのみ。さもなくばAとBは等価』なんて単純な三択にはなりません。そんな乱暴な考え方は全く科学的ではない。
(引用)
1であれば現時点でのウィキペディアのこの説明は、記述の手順に問題があるとしても、科学的な説明としては概ね妥当となります。
3であれば、それは明白な誤りとなります。
1と3は並立しません。
2であれば、説明の妥当性において問題があるでしょう。
(感想)
まずは『3』に妥当性の強度が有る事を示しましょう。
科学の手続きを踏み、カビ説を肯定するだけのモノを出せれば、それは科学として認められるでしょう。
適応を棲み分けるように妥当性が有るかどうかなどはその後の話です。
ましてや己の論の芯も示さずに1というWikiの記述に関して3こそが科学的な説明だと主張するのは、ニセ科学に近い所行だと言わざるを得ない。
(まとめ?)
現在の所は最も妥当だと認められる説を覆し得る妥当な説明が、相応の手続きを踏んで科学であると認められない限りは、現在の所最も妥当だと認められている説明こそ妥当であると認めるのが最も科学的な態度に近い。
そしてその現状を認め、かつ科学が真実には辿りつかない事を知りながらも尚、より真実に近い現状の向こう側を探求するのが『真の科学者』である。
とまあ私は概ねこのように考えています。
ちなみに私は『真の科学者』ではありません。
さておき、少なくとも私は今のまま肝心な所の説明をしないfinalvent氏を科学的であると認める事は無いでしょう。
……と、久しぶりに長文を書いて見たけど、どこか論に穴が有りそうな気がする。
まあいいや。誰かから指摘を貰ったら考えよう。