味噌と糞の区別が付かないだけならまだマシだが

(公開直後に若干修正)
皆さん明けましておめでとうございます……ってもう7日も終わりですけども。

さて、今回はlets_skepticさんのエントリ悪しき相対主義 - Skepticism is beautiful内のフレーズ、『糞でも味噌でも一緒にしちゃう』から考えた例え話を一つ。*1

・味噌の匂いを付けた糞を売っているので批判していると……
⇒『その味噌を買って満足している人もいるから文句を言うな』

・これは味噌じゃなくて糞を味噌だと偽って売っているんですよ。
⇒『その味噌を買っている人は納豆だと思って買っているかもしれないじゃないか』

・これはそもそも食品ですらない糞なんですよ。
⇒『納豆と似て臭い匂いがするから納豆みたいなものだ』

・これ食べてたら病気になりますよ、だって納豆じゃなくて糞なんですから。
⇒『病気になるなんて断言できない』

・糞なんですよ。大腸菌とかウヨウヨで、栄養価も低い。食品である味噌とは比べ物にならないくらい病気になりやすいですよ。
⇒『これが健康食品として容認される可能性はゼロではない』

・味噌ってどんな物かご存知?
⇒『あんたの言う味噌が何かは知らんが、これは食品かもしれないじゃないか』

・あなたと話しても時間の無駄なようです。
⇒『これを批判しに来る人間はいつもこうだ。人の意見を尊重しない』

・あなたは味噌と味噌に偽装された糞の判断が付かない人です。
⇒『そうだと言うなら根拠を示せ』

・じゃあこの味噌を装った糞が何なのか知ってますか? どうやって出来た物か説明できますか?
⇒『そんな質問に興味はないから答えない。もっとマシな質問をしろ。私の興味を引く質問なら答えてやる』

あなた発言を聞いてるのは私だけじゃないんですけど、いいんですか?
『糞と味噌の区別が付かない上に指摘されても尚調べようともせず、今後区別を付ける気配が全く見られない人』と、まともに「味噌と味噌を装う糞」について議論する意味が有ると判断する人はとても少ないと思います。

結論:
『糞は肥料として役に立つ』とか『将来なんらかの技術により糞を燃料などに使えるようになるかもしれない』とか、例え話って論点を逸らすだけの結果を招きかねないよね(´・ω・`)

*1:それにしても年明け最初のエントリが『糞』の連呼ってどうよ?